top of page

 

 

​「焦土に咲いたカンナの花」広島平和記念資料館

 

 

「原爆の子の像」広島平和記念公園

経験したことのない忘れてはいけないこと

PESADELO

経験したことのない忘れてはいけないこと。

ヒロシマで生まれ育った私には、そんな不思議な記憶がある。

1945年8月6日、

​それは今から78年前から続く記憶である。

爆心地から40kmほど離れた田舎町に住む祖母は言っていた、

あの日のきのこ雲がいかに大きかったか。

祖母がもし広島に出ていれば、おそらく私は生まれていない。

だから、私の忘れてはいけない記憶だ。

同じく広島県生まれの映画界の巨匠、大林宣彦さんが

テレビで言っていたことを思い出す。

大学生に向かって、

技術が意図を超えて使われてはいけない、と語っていた。

​私はその言葉を、そうして戦争を許してはダメだ

と解釈した。

 

その言葉は、

いまの日本の社会のあり方に突き当たる気がした。

​ちょうどそのテレビをいていた時期、

私は、前職のゼネコンで、とある事務所ビルの設計を

しながら、モヤモヤを抱えていた。

クライアントからバルコニーの安全性を高める

変更リクエストを受けていたのだが、

その要求はバルコニーのメリットである眺望や解放感を

無効化するようなものだと、私は感じていた。

私は、室内化や解放感を確保できる素材の提案をしたが、

結局は社内で却下された。

今でも、バルコニーがほしい意図は何なのか、

をクライアントと対話すべきだったと後悔している。

私たちは、「技術が意図を超えて使われる」空間を設計して

しまったのではないか、と。

大企業や社会の仕組みにも同じ危機を感じる。

分業化が進み、

決める部署と実働する部署が分かれていっている。

分業すればするほど、全社的な決め事に意見するためには、

長い川を上らないといけない。

それが、多くの従業員の意志を疲弊させている。

「決めるのは会社」

そうして、疲弊した従業員から「意図を超えた技術」

漏れ出して、技術だけが一人歩きを始める。

それが定着すると、消費者にとって当たり前になり、

その当たり前が初心(=意図)を風化させるのである。

2023年、いまも戦争は続いている。

「決めるのは国」と言うのではなく、

「決めるのは私たちの代表者」だと言わなくてはならない。

いま使われている兵器に使われている技術も、

初めの発明では文明開化の吉夢しか見ていなかったはずだ。

建築もまた、人々の当たり前をつくってしまう存在だ。

同じことを繰り返さないために、

意志を強く持って技術を扱い、

なるべくクライアントと意志を共有しながら建築をつくり、

意志とともにクライアントに建築を引き渡さなくてはならない。

 

​ヒロシマ人として、少なくとも。

 

 

06 / 08 / 23

​MASAHIRO OKADA

bottom of page